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呼びかけ人からのメッセージ

 

 

「一人の大学人として」

 

野上啓一郎(静岡大学・循環共生社会学)

 

 宇沢弘文著『社会的共通資本』(岩波新書)のなかに、次のような文章がある。

「社会的共通資本は決して国家の統治機構の一部として官僚的に管理されたり、また利潤追求の対象として市場的な条件によって左右されてはならない。社会的共通資本の各部門は、職業的専門家によって、専門的知見にもとづき、職業的規範にしたがって管理・維持されなければならない。」(p.5)

 

「小・中学校などのいわゆる基礎教育は、(中略)重要な役割を果たす。他方、大学を中心とする高等教育は、より深い知識と高い技術的、技能的能力を身につけて、(中略)進歩に貢献することを可能にする。どちらも、一つの国、あるいは地域にとって、社会的共通資本の重要な要素である。」(p.124)

 

 そのとおりだと思う。大学の教育は現場の教員の専門的知見にもとづき、職業的規範にしたがって管理・維持されなければならないと思う。真理だと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「学問の自由と「国旗・国歌」問題の位相」

 

橋本伸也(関西学院大学文学部)

 

 「学問の自由を考える会」の発足は、首相発言にもとづく文部科学省による国立大学への国旗掲揚・国歌斉唱「要請」問題を契機としたものであった。これはいたって日本的な出来事のように見える。というのも、国旗・国歌の是非が国内政治上のイシューとして70年にもわたって燻り続けるというようなことは、国際的には、皆無とはいわぬにせよむしろ異例と思われるからである(民族的マイノリティ集団、とりわけ分離主義的勢力による国旗等の拒否と別シンボルの示威という例は多くあるが、今回の出来事とは区別されなければならない)。それゆえ、国際的な議論の場で「大学の儀式の場での国旗掲揚・国歌斉唱の義務付けを国家が要求することは、学問の自由の侵害である」という議論を一般命題として提示した場合には、その含意が容易に理解されず、日本の特異性が際立つだけということになるかもしれない。多くの場合、大学も含めて儀式の場で(あるいはもっと日常的にも)国旗を掲げることは自然な行為である場合が多いはずなのだ。むろん、これが近代国民国家によるシンボルとアイデンティティの政治の具現と成果であることは明らかであり、そのこと自体の問題性を議論することは可能だし、必要かもしれない。しばらく前に諸分野にまたがって展開された国民国家批判論は、そうした課題に応えようとするものであった。だが、国旗・国歌が現実政治上の争点と化し、学問や思想信条の自由への深刻な脅威として観念されるかどうかは、特定の文脈に規定されたものと見るべきであろう。

 日本では、「日の丸・君が代」が永く「保守」・「革新」間の政治的対立点であっただけでなく、1999年まで立法によるオーソライズもなされていなかった。言うまでもなく、それまでに争点化させられていたのは、あくまで学習指導要領の「法的拘束力」の問題なのである。このことは、考えようによっては、日本社会においてナショナリスティックな政治の展開を抑止(とまではいかなくとも緩和)するしかけが奇妙な形で作動してきたことを示唆しているのかもしれない。逆に、いまごろになって唐突に国旗・国歌について政府が大学に「要請」するという事態は、それらの正統性への合意がいまも完全には調達されていないことの現れと考えることもできる。むろん、これら二つのシンボルにまとわりついた歴史的経験の記憶がこれには関係しているが、それにとどまらず、日本の政治文化に関わる興味深い問題がはらまれているようにも思われる。このような日本の戦後史を想起するならば、今回の出来事を永続的な「日の丸・君が代」をめぐる政治のコロラリーとして捉えることには根拠があり、一つの論点として掲げることは妥当なことであろう。だが、「学問の自由を考える会」が示したアピールに賛同者から寄せられているメッセージなどを読んで感じさせられたのは、それとも重なりながらも、しかし異なる位相である。

 今回の出来事を「日の丸・君が代」よりももっと一般化したレベルで考えるための枠組みとして想定されるのは、国家(政治権力)と大学や学問との関係である。メッセージのなかでは、その時々の政権が、それぞれの政策や嗜好にあわせて大学の儀式のあり方というような内部的事項にまで介入してよいのかという問いかけがなされている。個人としては「日の丸・君が代」に親和的だけれども、予算をちらつかせながら強制してくるのには違和感を抱くという声も示されている。これらの感覚はきわめて貴重だと思うが、同時にそれらは、今回の出来事を「日の丸・君が代」問題という以上に、国家権力と大学・学問の自由との関係という、より国際的に汎用性のある次元での議論の必要性と可能性を開示してくれているように思われる。この点について、いますこし考えてみよう。

 国家と大学との関係にはさまざまの次元がある。

 むろん、学問の自由を原理主義的に突き詰め、大学の自律性を神話レベルにまで昇華させるならば、大学と学問を国家から完全に独立した領域とみなす主張も、少なくとも観念的には成立しうる。だが、大学という制度が誕生し発展してきたヨーロッパにおける、啓蒙絶対主義時代以降の経験を想起するならば、あるいは近代日本国家による大学制度の受容を想起するならば、この種の議論は歴史的にはとうてい成り立つものではない。そこまで話を広げなくても、そもそも「国立」大学という設置形態や「国費」による高等教育・学術研究への予算措置自体を原理的に否定することの非現実性は明らかだろう。そんなことをすると、大学と学問は志と富を有した私人による私塾としてしか存立しえなくなるからである。私塾は、考えようによっては理想的な学問伝達の形式かもしれないが、今日的にはおよそ現実的ではない。現に大学の果たしている多様な機能をも勘案するならば、無責任な議論だともいえる。もちろん、国家的保護と規制から独立した企業体としての大学というこれとは別の可能性もあるし、現にそうした方向を目指す動きがないわけでもないが、そのことの問題性は別途丁寧に論じられるべきことだろう。ちなみに、大学への介入をますます強化しようとする国家が、規制緩和と民営化の路線を強く後押ししてきたように見えるのは、いささか感慨深いことと言わなければならない。それはともかく、歴史的にも現実的にも、大学と国家とは永くて深い、醜悪な局面も多々含んだ依存関係の中にあったことを認めなければならないし、そのこと自体は一概に否定されるようなことではない。

 では、国家による政策課題と大学や学問との関係という次元はどうか。

 まず、上で述べたこととも重なるが、近世ヨーロッパ以来、大学と学問のあり方はそれ自体が国家にとって枢要なる政策課題として位置づけられてきた。これは大陸ヨーロッパでよりはっきりと見て取ることができる。非ヨーロッパ世界における大学制度の移植にも、それぞれの国家意思が強固に貫かれていた。これらは過去数百年を貫く事実である。時代をはるかに下って、われわれの生きている冷戦後の世界でも、グローバル経済化を背景に「知識基盤社会」論などにもとづきながら、いずれの国家も大学/高等教育や学術/科学技術にかかわる政策の比重をますます高めている。それは日本に限った話ではなく、世界規模で展開中の急激な高等教育改革の波がそのことをよく示している。ただ、こうした動きが世界銀行、IMF、OECDあるいはEUといった国際機関の活動によって誘導された国際的な国家間協働と競争によって組織されている点は、現代に固有の状況と言うことができる。このような、総じて新自由主義的大学改革と呼ばれる国策的動向については、おそらく大学人の間に共通した理解と合意が存在しておらず、学問観や大学観を異にする個々の研究者・大学教員間や学問分野毎の態度の差異、場合によっては鋭い対立さえ生起させるだろう。これをチャンスと捉える向きもあれば、学問と教育を疲弊させるものとして憂うるような立場もあるということだ。

 たとえば、EUなどの推進するボローニャ・プロセスのもと、ヨーロッパ各国で国策的に進められている高等教育の国際標準化(制度的斉一化を超えた教育内容面では、それは「チューニング」などと呼ばれたりする。その背景には、技術的標準化と労働力の国際移動、そして、個別の国民国家ならざるEUによるアイデンティティの政治としての「ヨーロッパ市民」論がある)を科学技術的な研究開発と高度労働力養成にとって不可欠のものとしておおいに歓迎する立場もあれば、個々の学問や文化の多様性とその共存を損なって平板化・画一化をもたらしかねないものとして警戒する立場もあろう。また、政策的に推進された改革の波状攻撃によって、より多数の福利につながる経済成長がもたらされるのだと考える立場もあれば、「改革疲れ」による大学の疲弊化と空洞化を危惧する声も広く世界的にあげられている。総体としての国家による大学政策・学術政策(科学技術政策)とその妥当性にかかわる次元である。

 国家による個別的な政策課題と学問研究との結びつきという問題もある。冷戦の時代にアメリカのソ連・東欧研究は潤沢な資金を与えられて大きく発展したが、冷戦終結とともに一気に研究費縮減が進められて干上がったなどと噂されたことがあったが(念のために言えば、それでも日本などよりはるかに分厚い成果を生んでいる)、これはその一例である。この種の、時々の政策課題に応じた重点的資金配分等による特定分野への国家的肩入れはごく普通になされてきたし、今後もますます大規模になされていくことであろう。その一方で、このような後ろ盾をえることができず、衰退へと方向づけられる分野が生まれることも強く危惧されている。近年のアカデミック・キャピタリズムのもとでの応用・開発研究の重視、技術的・政策学的研究の優位が、人文学や批判的社会科学、あるいは自然科学分野でも国威発揚にも資本主義経済にも貢献しえないような分野の危機を深刻化させているとの指摘は多方面からなされている。筆者もそうした危惧を共有している。国家意思が特定の学問分野にとって有利あるいは不利に機能するという次元である。

 こうした二つのレベルでの国家と大学・学問との関係をめぐる問題状況は、もちろんそれとして真剣に議論されるべきものであり、その緊急性はますます高まっているように思われる。ある論者によれば「永久革命」と化したとさえ言われる大学改革の性格をどう捉えるのか、世界的にはイギリスのサッチャー改革以来、日本では1980年代の臨時教育審議会と大学審議会以来、数十年にわたって継続されたそれが学問と教育と社会にもたらした帰結をどのように総括するのかは、現代社会/現代世界論としてもきわめて重要な論題だろうし、それらに適切な解を見出すことは、学問と社会の調和のとれた健全な発展という観点からも焦眉のものだと考えられる。だが、今回の出来事が開示している国家と大学・学問との関係をめぐる危機は、これらの次元とはさしあたって区別して考えられなければならないもののように思われる。

 現在生じている事態がはらむ問題性の第一は、入学式・卒業式のあり方というような、今日各国が戦略的に進めている大学政策・学術政策の本流とはまったく無縁の、各機関の伝統や慣習と裁量に任されるべき些事にまで国家権力が介入してきているところにある。人々の意識と行動の隅々までを画一的に支配し動員しようとする国家体制は「全体主義」と呼ばれてきたが(実際にはソ連でさえ、そのような隅々までの支配を貫徹しえたわけではない)、そうとまでは言わぬにしても、これに通底する権威主義的統治への衝動を今回の出来事に嗅ぎ取ることはあながち的外れではない。国旗を掲げて卒業式を行ったからといって、高度の国際競争力を備えた研究開発と創造力あふれた「人材」育成が果たされるわけではないだろうに、そのことは気づかれていない。儀式での行為の統制に際して要求されるのは創造性ではなく、その対極ともいうべき同調性だが、創造性と同調性の同時追求というダブルバインド的状況の帰結とはいかなる事態なのか、そのことが慎重に検討された気配もない。このような目的合理性を欠いた情緒的な恣意的支配は、権威主義体制にしばしばつきものだと思う。

 次に、ナショナルな気分を極大化させた大学は、みずからめざしているはずの国際性を衰弱させてしまい、学問的な発展可能性を後退させてしまうであろう。このことは、両大戦期を通じて世界が手痛い形で経験したことであって、第一次世界大戦を契機としたドイツ大学の世界に冠たる学問中心地の地位からの地滑り的な陥落は、その最たる事例である。逆説的なことだが、グローバル化の進展を背景としたナショナルな気分の亢進が多くの国で確認されているが、そのことが大学と学問の発展に何をもたらすのか、このことはもっと熟慮されてしかるべきであろう。付言すれば多くの大学がグローバル戦略として東アジア・東南アジアからの留学生大量受け入れを目指しているなかで、これら諸国の機微に触れるシンボルを誇示することに、いかなる戦略的判断があるのだろうか。

 最後に、偏狭なナショナルな価値への執着は、政治的リベラリズムの本領ともいうべき多様性の承認と寛容の精神を損ない、視野狭窄による現実への対応力の衰弱とともに、社会全体の柔軟でしたたかな強靭さを衰弱させてしまうおそれがある。しかるに、これまで比較的広い視野を確保してきた大学でさえもが、特定の価値の押しつけによる異質なものの排除を通じて、国家的後ろ盾をえた特定の世界観に収斂させられてしまうならば、他者への想像力と対話可能性を閉ざされた社会は、よりいっそう排他的で硬直した性格を強めるであろう。しかるに、21世紀が始まったあたりから、そうした排他的で硬直した気分が、寛容と多様性を価値として掲げてきたはずのヨーロッパも含めて、世界の多くの地域でじわじわと蔓延してきたように見受けられる。その点では今回の問題は、けっして日本に固有のことがらとして片付けられるわけではない。今回の事態を「日の丸・君が代」の次元に留めるのではなく、むしろ国家と大学との関係というより汎用性のある次元で考えてみたいと思った理由はここにあるのである。

 

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